ブラックジャックは数世紀にわたって楽しまれている世界で最も人気のあるカジノ ゲームのひとつです。今日ではオンラインなどいろんな形でプレイできます。
ブラックジャックはどの派生種目も基本はほとんど同じです。52 枚 1 組の標準的なデッキを使用し、ディーラーに勝つことを目指します。手札の合計が魔法の数字である 21 を超えず、ディーラーの手札よりも大きければあなたの勝ちです。
オンライン カジノを体験したいのなら、さっそくテーブルに着席してディーラーと対戦しましょう。バーチャル フェルトの上をカードが飛び交います。
21 を作るだけのゲームだと思っていませんか? 一見単純そうなブラックジャックですが実際は違います。A と 10 を引く以外にも勝つ方法はたくさんあります。たとえば、ブラックジャックをヒットしたり、ディーラーより強いハンドを作ったり、ディーラーがバストしたりした場合も勝てます。
21 を作るためにカードを何枚引いても構いませんが、たくさん引けばその分バストしやすくなります。プレイヤーとディーラー双方とも 21 の場合は「プッシュ」となり、賭け金は返金されます。
さらにブラックジャックには手札を最大限に活かせるエキサイティングなルールがあります。たとえば、手札がペアの場合は 2 つのハンドにスプリットして別々にプレイしたり、手札の合計が 11 以下の場合はダブルダウンして最初にしたベットと同額をベットすることができます。
ブラックジャックのカードの数値は一般に知られている通りです。たとえば、2 - 10 のカードはその数字のまま。J、Q、K はどれも 10 で、A は 1 または 11 です。
ハード ハンドとは A 以外の 2 枚のカードです。バストする危険があるのでハード ハンドと呼ばれます。2 と 3 (合計 5) は定義上ハード ハンドですが、次にどんなカードを引いてもバストする危険はないのでソフトといえます。
ソフト ハンドとは A を含む 2 枚のカードです。ソフト ハンドは次にどんなカードを引いてもバストすることはありません。最高のソフト ハンドは 9 と A です (合計 10 または 20)。
ブラックジャックの確率はその当初からオンライン ゲームでの議論の的でした。ある結果が出る確率はいろんな要素によって変化します。ブラックジャックが大きな人気を集める理由になっています。この予測不可能という特徴が毎日大勢のプレイヤーの足をカジノやオンライン カジノへと向かわせています。
ブラックジャックの結果やハンドのオッズはゲームの最中に胸算用できるようなものではありませんが、ロジカルで簡単な計算方法もあります。たとえば、最初のカードが A になる確率は 4/52 で、2 枚目のカードの値が 10 になる確率は 16/51 と分かりますが、詳しく計算すると、1 枚目が A でブラックジャックができる確率は (4/52) X (16/51) = 64/2652 = 0.024 で、41.6 回に 1 回となります。
ブラックジャックのオッズと確率のパターンは膨大な数に及び、デッキの数が増えれば、その分確率の計算は複雑になります。
ブラックジャックは長年にわたってさまざまな変化をしてきました。今日知られているのはアメリカや欧州が発祥のものが主で、その違いは使用するデッキの数からベットの種類、スプリットの扱い、ディーラーに対する制限までさまざまです。
ブラックジャックの一部の派生種目でサイドベットできる手札の組み合わせには次があります。
手札が同じランクとスートのペアになるかどうかにベットします (例: スペードの Q とスペードの Q)。
同じ色で異なるスートのペアになるかどうかにベットします(例: 2 枚とも赤または黒)。
赤と黒のカードが 1 枚ずつのペア。
同じスートのカード 3 枚。
連続する数字のカード 3 枚(例: ハートの 2、ダイヤの 3、クラブの 4)。
同じ数字のカード 3 枚。
同じスートで連続する数字のカード 3 枚。
数字とスートが同じカード 3 枚。
ブラックジャックというゲームと歴史についてその草分けから戦術まで紹介します。
最初期のブラックジャックはカード デッキ、プレイヤー対ディーラー、カードの数値による勝敗の判定という要素から成るゲームでした。スペイン発祥のこのゲームはトレンテウン (31) と呼ばれ、『ドン・キホーテ』の著者として有名なミゲル・デ・セルバンテスが『Rinconete et Cartadillo (リンコネットとコルタディロ)』(1613 年に出版された『Exemplary Novels』の 12 ある短編の 1 つ) で取り上げています。トレンテウンという名のギャンブル ゲームが登場する書物は 1440 年まで遡ります (同じ名前だけど無関係なゲームもいくつかあります)。
このゲームから派生したものが 17 世紀のイングランドではボーン エースと呼ばれていました。セルバンテスの小説やチャールズ・コットン著『The Complete Gamester 』(1674 年) によれば、ボーン エースでは A は 1 または 11 と数えます。フランスでは16 世紀にキャンズ (15) と呼ばれるブラックジャックの前身が初めて登場し、フランスのカジノで 19 世紀まで人気を博しました。イタリアでは 17 世紀にセッテ・エ・メッツォ (7 & 1/2) と呼ばれるカード ゲームが誕生。セッテ・エ・メッツォでは 40 枚 1 組のデッキ (8、9、10 は抜き) を使用します。数字札はそのままで、絵札は半分の数値になります。
フランス発祥のトランテカラント (30 & 40) というゲームは 1780 年にベルギーの Spa Casino でプレイされていました。初期の多くのゲームとは異なりハウスがバンクを務め、カジノがプレイヤーを相手にプレイし、ベットの受け付けや払い戻しを行っていました。インシュランス ベットが初めて導入されたのもこのゲームです。
現代のブラックジャックのルールは 18 世紀の半ばのフランスのバンタン (またはバンテアン。21 の意) が元になっています。1700 年代後半から 1800 年代前半にかけて、デュ・バリー夫人やナポレオン・ボナパルトといった熱心なファンによりフランスで広まっていきました。
19 世紀の米国ではカジノがプレイヤーに有利となる 2 つのルールを導入。「ディーラーは手札の 1 枚を見せる」、「ディーラーは 16 以下の場合はヒットし、17 以上でスタンドする」というルールです。20 世紀初頭になると、プレイヤーがスペードの A と黒の J (クラブまたはスペードの J) で 21 ができるとボーナスが得られるという (すぐに廃止され長い間無視された) プロモーションによって「ブラックジャック」の名で知られるようになります。
ソープ博士による評価の高い学術的研究とそれに触発されたプレイヤーやアナリストによってブラックジャックはカジノで最も人気のあるテーブル ゲームとなりました。カジノはブラックジャックの基本戦術が開発されたことによって恩恵を得ましたが、その実践は阻止しようとするのが一般的で、カードを数える行為は不正にあたらないという判決が何度も下されているのにもかかわらず、ほとんどの地域のカジノは理由がどうであれ、そうした行為を禁じる権利を有しています。また、デッキの数、ペネトレーション、ハウスがソフト 17 でヒットするかスタンドするか、スプリットとダブルダウンの制限、サレンダーを認めるか認めないかなど、カジノによってブラックジャックのルールに手が加えられています (テーブルごとにルールが違う場合もあります)。
カードを数えて財産を築き、時には失うプレイヤーたちの顛末が Ken Uston 著『The Big Player』(1977 年) や Ben Mezrich 著『Bringing Down the House』(2002 年、邦題『ラス・ヴェガスをブッつぶせ!』) に綴られています。Mezrich の作品は映画化され (『ラスベガスをぶっつぶせ』、原題『21』) 人気を博しました。