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時代を超えたカジノ プレイヤーたち

カジノ プレイヤー: 14 世紀以前
古代ローマの永久独裁官ユリウス・カエサル (100 - 44 B.C.) は 1 週間にわたるサートゥルナーリア祭の公営ギャンブルに参加。また、ルビコン川を渡る際に「alea iacta est (賽は投げられた)」という名言を残しています。アレア (バックギャモンの原型) 好きで知られるアウグストゥス (63 B.C. - 14 A.D.) は宴会の出席者にくじ引きでお土産を持たせていました。クラウディウス (10 B.C. - 54 A.D.) は揺れる馬車の中でもダイスをプレイできるように特別なテーブルを作らせました。ダイスに熱中するあまり、自分が処刑した相手を呼び出すこともあったようです。カリグラ (12 - 41 A.D.) は宮殿を賭博場にして国の運営資金を調達していたほど戦車レースとダイス ゲームに熱を上げており、妹の葬儀の日にもダイスをプレイしていたという逸話が残っています。ネロ (37 - 68 A.D.) はあらゆるスポーツやゲームを愛し、それらに賭けることを楽しんでいました。宮殿内では年中ギャンブルが行われ、ダイスの一振りで大金が動いていました。

カジノ プレイヤー: 15 - 18 世紀
ロレンツォ・デ・メディチ
(1449 - 1492) は芸術を愛し、芸術家をサポートしたルネサンス期におけるフィレンツェ共和国 (イタリア) の政治家。カード ゲームを愛した彼はいくつかのゲームを考案しています。また、その詩の中でラ・バセッタイル・フルッソといったカジノ ゲームのことをしばしば詠んでいます。カード ゲームの腕もなかなかのものでした。

カジノ プレイヤー: 18 - 19 世紀
ウィリアム・ペン
(1644 - 1718) はイングランド出身のペンシルバニア植民地総督。クエーカー教徒で、父のサー・ウィリアム・ペンがギャンブルで得た 16,000 ポンドの債権と引き換えに許可を得て北米に植民地 (現在のペンシルバニア州) を開きました。

ヴォルテール (1694 - 1778) はフランスの作家。啓蒙主義を代表する歴史家であり、熱心なギャンブラーでもありました。政府が特定の債券の購入者を対象とした宝くじを発売した際に、彼はルールの裏をかいて大量の債券を買い漁ってできるだけたくさんの宝くじを購入するというアイデアを思いつきました。宝くじを買い占めた彼と仲間の投資家連中は、その期間中の当せん金額のほとんどを手に入れました。政府は支払いを拒否したものの、裁判で勝って大金を手に入れました。ファロ (カード ゲーム) やビリビ (袋から数字を引くルーレットに似たゲーム) を好んで遊んだようです。

ジャコモ・カサノヴァ (1725 - 1798) は華麗な女性遍歴で知られるヴェネチア (イタリア) の作家、冒険家。ファロを好みヴェネチアで 2 日間に 5,000 枚もの金貨を失ったことも。悪名高いプレイボーイとしても知られ、裕福な女性を騙してギャンブルの借金を肩代わりさせることもあったようです。回想録の中でサン・モイゼ宮殿 (ヴェネチア) の一角にあった Il Ridotto でのギャンブルの様子を綴っています。

第 4 代サンドウィッチ伯爵ジョン・モンタギュー (1718 - 1792) はロンドンのホワイツ (紳士クラブ) でマラソン セッションを行うほど熱心なプレイヤーでありギャンブラーでした。1765 年頃にホワイツで薄く切ったパンに肉を挟んで食べることを思いついた (または普及させた) と言われています。手やカードが汚さないための工夫から始まったこの食べ物はやがてサンドウィッチとして知られるようになります。

米国の将軍、初代大統領のジョージ・ワシントン (1732 - 1799) はカード ゲームの勝敗を日記につけていました。

カジノ プレーヤー: 19 - 20 世紀
トーマス・ジェファーソン
(米国大統領、1743 - 1826) は独立宣言を起草している時もしょっちゅうギャンブルに興じ、バックギャモン、宝くじ、クロス / パイル (コイントス)、カード ゲームでの勝敗を記録していました。

ジェーン・オースティン (英国の作家、1775 - 1817) はしばしばカード ゲームのフィルターを通して作中人物の性格や人柄を描写しました。『高慢と偏見』や『分別と多感』などの小説には宝くじ、カドリール、バンテアン、ホイスト、ピケットが登場します。

ナポレオン・ボナパルト (1769 - 1821) はフランスの将軍・皇帝。偉大な将軍は戦場でも役立つ実力と戦略がものをいうゲームを好みました。フランス国内のカジノを支援し、ヴィントウンの普及にも尽力。甥のリュシアンはギャンブラーとして成功を収めました。

ジョージ・'ボウ'・ブランメル (1778 - 1840) は英国ファッション界のリーダー。国王ジョージ 4 世の友人でもあった彼は流行の仕掛人として羨望を集めていましたが、ギャンブルではしばしば負けていました。富裕層から転落して多額の借金を抱え、晩年はカレー市に逃れて貧しいまま人生を終えました。

アレクサンドル・プーシキン (1799 - 1837) はロシアの作家。若い頃から酒とギャンブルに明け暮れ、妻の農奴を二番抵当に入れようとするほどの借金を抱えます。ギャンブルを題材にした『スペードの女王』を執筆しました。

フョードル・ドストエフスキー (1821-1881) はカジノで作った借金を返済するために『賭博者』を執筆。この作品はバーデン=バーデンで人気のカジノから着想を得たと言われています。

カジノ プレイヤー: 20 - 21 世紀
レフ・トルストイ
(1828 - 1910) は出版社との賭けビリヤードで背負った借金から逃れるためにロシア軍に入隊。この借金は『コサック』の原稿料で返済しました。

イワン・ツルゲーネフ (1818 - 1883) はバーデン=バーデンのカジノを題材にした『煙』の著者。カジノで負けたトルストイやドストエフスキーに身元引受人を頼まれたこともあります。

ワイアット・アープ (ギャンブラー、保安官: 1848 - 1929) とジョン・'ドク'・ホリデイ (ギャンブラー、歯科医: 1861 - 1887)。テキサスでアープがホリデイの命を救ったことがきっかけで友情を育んだ流浪のギャンブラー 2人は、その後保安官に就任しました。ともにファロのバンカーとして知られていました。有名な「OK 牧場の決闘」とホリデイの結核による死から数年後の 1896 年にワイアット・アープはボブ・フィッシモンズ対トム・シャーキーの「世紀の一戦」でレフェリーを務めて物議を醸しました。試合を優位に進めていたのはフィッツシモンズでしたが、パンチがベルトより下に当たったとして反則負けを言い渡されたのです。しかし、実際にこのパンチを見た者はおらず、試合は八百長だったという噂が広まりました。フィッツシモンズは判定を不服として訴訟を起こしましたが、カリフォルニア州裁判所は州内での懸賞試合を違法として訴訟を却下しました。

皇太子エドワード 7 世 (1841 - 1910) は後の英国および英国自治領の国王、インド皇帝。カジノ好きとして知られるプリンス・オブ・ウェールズ (皇太子) は「レンフルー卿」という偽名を使って頻繁にモンテカルロを訪れていました。

ウィンストン・チャーチル (英国首相、1874 - 1965) はカジノやゲーム、戦争でリスクを取ることを良しとした戦時の偉大な指導者。ポーカー、ベジーク、麻雀、ピノクルなどのゲームに熱心でした。米国大統領ハリー・トルーマンや顧問とのポーカー対決で大負けしたのは有名な話です。

アルヴィン・'タイタニック・トンプソン'・トーマス (1893-1974) はゴルフ、ダイス ゲーム、カード ゲーム、ビリヤード、競馬、プロップベットで知られた米国のロード ギャンブラー。デイモン・ラニアン作でミュージカルや映画にもなった『ガイズ & ドールズ』で重要な役回りを演じるスカイ・マスターソンのモデルになりました。

ジョン・'ベット・ア・ミリオン'・ゲイツ (1855 - 1911) は有刺鉄線を普及させた米国の実業家。高額ステークのポーカーやバカラを好んでプレイしました。1900 年にイングランドを訪れた際、競馬で 7 万ドルを賭けて 60 万ドル (100 万ドルという噂も) を獲得したことで「ベット・ア・ミリオン」の愛称が付きました。

ニック・'ザ・グリーク'・ダンドロス (1883 - 1966) は米国のギャンブラー。クレタ島の裕福な家庭に生まれ、仕送りつきで米国へと派遣に出されます。カード ゲームやダイス、競馬で金銭的な出入りの激しい人生を送りました。1966 年のクリスマスに無一文で亡くなりましたが、死後も伝説が語り継がれています。現在でも最も有名なカジノ プレイヤーの 1 人です。

ジェームズ・ボンド (1953 -) は英国の架空の人物。元諜報員の作家イアン・フレミングが描くスパイ アクションは『007/ドクター・ノオ』(1962) を皮切りに続々と映画化され、世界で最も人気がある映画シリーズの 1 つに数えられています。小説や映画の中でボンドは高額ステークのカジノ ゲームに興じます。小説第 1 作目の『007/カジノ・ロワイヤル』はルーレット テーブルで幕を開けます。また初めての映画版となった『007/ドクター・ノオ』ではバカラをプレイする場面が見られます。『007/ダイヤモンドは永遠に』ではボンドがルーレットで黒の 17 番にベットするシーンがありますが、これについては有名な話があります。主演のショーン・コネリーは 1963 年にイタリアの Casino de la Valle でルーレットをプレイしました。黒の 17 番にベットして 2 回負けましたが、次も黒の 17 番にベットして三度目の正直で勝利。今度はその配当を全額黒の 17 番にベット。またもや勝利します。この配当金もすべて黒の 17 番にベットして 5 度目の勝負に挑みます。なんとボールは三度黒の 17 番に落ちておよそ 1 万ポンドの賞金を手にカジノを後にしたということです。3 回連続で同じ数字に止まるという天文学的な確率だけでなく、これが『007/ダイヤモンドは永遠に』で黒の 17 番へのベットが有名になる 8 年も前 (1963 年) の出来事という点がこの話の信ぴょう性をより低くしています。

ポーカーを愛した米国大統領たち - ウォレン・ハーディング (1865 - 1923) は閣僚たちと週 2 回ポーカーをプレイし、ゲームに負けてホワイトハウスの陶磁器を手放したと伝えられています。低額ステークのスタッド ポーカーを好んだフランクリン・D・ルーズベルト (1882 - 1945) は議会の会期最終日の夜にゲームを主催し、会期が休止に入った時点でリードしている者を優勝者としてしていました。ハリー・S・トルーマン (1884 - 1972) は 5 カード スタッド ポーカーの名プレイヤーで、第二次世界大戦中に原爆投下を決断する間も記者たちと長時間ポーカーをプレイしていました。「鉄のカーテン」演説の際にウィンストン・チャーチルとプレイしていた話も有名です。ドワイト・アイゼンハワー (1890 - 1969) は陸軍士官学校でポーカーとブリッジを覚え、ポーカーの賞金で後に妻となるマミーを口説いたとまことしやかに囁かれています。米海軍在籍中にポーカーを覚えたリチャード・ニクソン (1913 - 1994) ですが、腕前はなかなかのものでポーカーの賞金を最初の下院選の選挙資金に充てたほどでした。

ウィリアム・リー・バーグストローム (1951 - 1985) は米国の不動産業者。どこからともなく現れてクラップスで高額ベットをすることから「スーツケース・マン」や「幻のギャンブラー」と呼ばれました。1980 年 9 月 24 日、ラスベガスの Binion's Horseshoe に到着し「最初のベットであればいくら賭けても良い」というカジノのルールを確認。その手には 77.7 万ドル入りのスーツケース 1 つと空のスーツケース 1つがありました。クラップスの最初のゲームで 77.7 万ドルをベットして勝利すると、テッド・ビニオンの手を借りて賞金を空のスーツケースに詰め込むみ街を後にしました。それから 3 年半後の 1984 年 3 月 24 日に再び姿を現した彼は今回もクラップスで 53.8 万ドルをベットして勝利。1984 年 11 月 16 日、現金 100 万ドルと金貨や小切手の詰まったスーツケースを手に三度現れた彼はクラップスに 100 万ドルをベットして負けました。1985 年 2 月 2 日に再び現れた彼の手には明らかに偽造と分かる 130 万ドルの小切手が握られていました。翌日の夜、ラスベガス・ストリップの Marina Hotel で自ら命を絶ちます。友人宛のメモには恋人との破局が自殺の直接的な引き金になったと記されていました。

柏木昭男 (1938 - 1992) は日本の実業家、不動産投資家。バカラで 1 ハンドに 10 万ドルや 20 万ドル賭けることもザラの高額ステーク プレイヤー。ドナルド・トランプが所有するアトランティックシティのカジノやラスベガスの Aladdin との間で支払いを巡って揉めて 1,000 万ドルを失いました。数百ドルの借金を抱えたまま富士山麓の自宅で何者かに殺害されましたが、この事件は未解決のままです。 

アーチー・カラス (1951 -) はギリシャ系米国人のギャンブラー。ビリヤードとポーカーからギャンブルの道に入った有名なハイローラー。ポーカーで 200 万ドルのバンクロールを築いたものの、1992 年にロサンゼルスですべてを失います。1995 年初頭にはラスベガスで 50 ドルの資金を 4,000 万ドル以上に増やしたことで有名になりますが、その年の終わりにはポーカー、クラップス、バカラで全額を失いました。

エルマー・シャーウィン (1913 - 2007) は米国ネバダ州ラスベガスの陸軍退役軍人。1989 年にラスベガスの The Mirage の開店日に『Megabucks』スロットでジャックポットに当選して 460 万ドルを獲得しました。それから 16 年後の 2005 年、92 歳の時に Cannery Casino で『Megabucks』のジャックポットに再び当選し、2,110 万ドルを手に入れました。

ケリー・パッカー (1937 - 2005) はオーストラリアの実業家。クリケットのワールドシリーズを創設したことで知られるメディア界の大物は、メルボルンの Crown Casino の共同経営者でもありました。高額ステークを好み、1997 年にはラスベガスの MGM Casino で 2,000 万ドルを獲得する一方で、シドニーのブックメーカーでは 3,000 万ドル負けたこともあります。「バカラの重鎮」として知られています。

ドン・ジョンソン (1962 -) は米国の企業経営者、カジノ プレイヤーで競馬ソフトウェア設計会社の CEO。2010 年から 2011 年にかけて、アトランティックシティとニュージャージーの 3 つのカジノでブラックジャックで 1,500 万ドルを獲得しました。

時代を超えたカジノの革新者たち

カジノの革新者: 14 世紀以前
アルフォンソ 10 世
(カスティーリャ=レオン王国国王、1221 - 1284) は 98 ページからなる初のギャンブル ガイド『Book of Games』を執筆しました。その内容はチェスやボードゲームが中心ですが、クラップスの前身であるハザードなどダイス ゲームについての記述も見られます。

マルコ・ポーロ (1254-1324) はヴェネツィア共和国 (イタリア) の探検家で、欧州にアジア文化を紹介した旅商人。彼が紹介した中国発のカード ゲームがヴェネツィアから欧州全域に広まったともいわれています (恐らくフィクション)。

カジノの革新者: 15 - 18 世紀
ガリレオ・ガリレイ
(1564-1642) はルネッサンス期に活躍したフィレンツェ (イタリア) の天文学者、数学者。3 つのサイコロを投げた場合の出目の組み合わせに関して初めて学術論文を発表するなどの成果を残しています。このテーマはパトロンのトスカーナ大公コジモ 2 世の依頼で取り組んだものでした。

ジェロラモ・カルダーノ (1501 - 1576) はイタリアの数学者、発明家。多作な作家で、好奇心旺盛なギャンブラーでもありました。死後およそ 1 世紀たった 1663 年に『Liber de Ludo Aleae (The Book of Games of Chance)』が発見・出版され、確率論やオッズの理解に貢献しました。

ブレーズ・パスカル (1623 - 1662) はフランスの数学者、科学者で、現存する最古の計算機の発明者。同じ頃取り組んでいた永久機関の研究が最初のルーレット ホイールの開発につながったともいわれています。また、ピエール・ド・フェルマーと共同で数学や社会科学の一分野として確率論の基礎を築いたことでも有名です。フェルマーと書簡のやりとりを始めたきっかけはシャバリエ・ド・メアからのギャンブルに関する質問でした。

カジノの革新者: 18 - 19 世紀
フランシス・ホワイト
はイタリア出身の英国のカジノ経営者 (イタリア名はフランチェスコ・ビアンコ)。1693 年にロンドンで Mrs. White's Chocolate House.という名のコーヒーハウスを始めます。これが、「ホワイツ」と呼ばれるロンドン最古級の会員制紳士クラブになりました。1755 年に現在のセント・ジェームス通り 37-38 番地に移転したホワイツは 18 世紀から 19 世紀にかけて、珍しいプロップベットを提供するベッティングブックを営業していました。その当時、施設内ではファロやハザードもプレイされていました。

エドモンド・ホイル (1672 - 1769) は英国の作家。ギャンブルの権威であり、何世紀にもわたってさまざまなカード ゲームの指針となった『A Short Treatise on the Game of Whist』の作者。バックギャモンやチェスなどに関する本も執筆しています。ゲームに関する知識面での評価は高く、「According to Hoyle (規則どおりに)」という表現にその名を残しています。

リチャード・'ボウ'・ナッシュ (1674 - 1761) はバース (英国) の儀典長、カジノ ホストの先駆け。1704 年から亡くなる 1761 年まで温泉街バース市の儀典長を務めました。

カジノの革新者: 19 - 20 世紀
ジャック・ベナゼット
(1778 - 1848) はフランスとドイツで多くのカジノを経営しましたが、中でも 1838 年に開店したバーデン=バーデンのカジノは有名です。彼の優れた経営手腕は甥や息子のエドワードに受け継がれ、バーデン=バーデンはカジノスパの観光地として、現在でもギャンブラーの憧れの地であり続けています。

アントワーヌ・シャベール (1774 - 1850) はフランス-ドイツのカジノ オーナー・経営者。パリの Palais Royale に続いてバーデン=バーデンの Conversation House を買収し、集客数を倍増させました。生涯にわたってドイツで数多くのカジノを経営しています。

フランソワ・ブラン (1806-1877) はドイツ-モナコ共和国のカジノ経営者。双子の兄弟ルイス (1806 - 1854) とともに、19 世紀で最も成功したカジノ経営者として名前を残しています。ブラン兄弟が 1843 年にバート ホンブルクにオープンした Kursaal のルーレットにはゼロが 1 つだけでした。また、フランソワは 1868 年にモナコに Casino de Monte Carlo をオープンしています。そのあまりの成功ぶりから、フランソワは「モンテカルロの魔術師」と呼ばれ、その驚くべき幸運のために悪魔と契約したという都市伝説が生まれました。

カジノの革新者たち: 20 - 21 世紀
チャールズ・フェイ
(1862 - 1944) は米国の発明家。ドイツ出身のエンジニアで、電気機器の知識を生かして 1895 年に史上初の 3 リールの機械式スロット マシンを発明しました。この『Liberty Bell』はベルが 3 つ揃うと 20 枚のコインが払い出される仕組みでした。

ハーバート・ミルズ (1872-1929) は米国の発明家。チャールズのライバル社のエンジニアで、1905 年に『Liberty Bell』にさまざまな機能を加えて改良を施した独自のスロット マシンを開発。後にミルズ・ノベルティ社がこのマシンを大量生産しました。

ベニー・ビリオン (1904-1989) は米国のカジノ オーナー・経営者。元はテキサス州で賭場を開いていましたが、1940 年代後半にラスベガス繁華街のカジノの買収と売却を繰り返すようになります。そのうちの 1 つ Binion's Horseshoe の成功によって一流カジノ経営者の仲間入りを果たします。ビニオンは無料ドリンクの提供、プレイヤーに有利なルールやベット制限の導入などさまざまな改革を実施・普及させました。1970 年には息子のジャック・ビニオン (1937 -) とロニー・'テッド'・ビニオン (1943 - 1998) とともに World Series of Poker を設立しています。

ハワード・ヒューズ (1905 - 1976) は米国の投資家、カジノ オーナー、飛行家、発明家、映画製作者。1960 年代のラスベガスで最大のカジノ オーナーおよび土地所有者であり、Desert Inn、Castaways、Frontier、Landmark、Sands、Silver Slipper などのカジノを所有していました。ラスベガスのカジノの支配権をギャングから企業の手に移したことで高く評価されています。

ベンジャミン・'バグジー'・シーゲル (1906-1947) は米国のギャング。有名な密輸業者、ギャンブラーで、1946 年にオープンしたラスベガス初の大型カジノ Flamingo を構想し、建設を監督しました。

ウィリアム・'シ'・レッド (1911 - 2003) は米国の発明家。1978 年にゲーミング マシンやアミューズメント マシンの販売会社 Bally を退社し、翌年、後の International Gaming Technology (IGT) を買収して初のビデオ ポーカー マシンを開発。IGT はゲーミング マシンや抽せん器、抽せんシステムの世界的なリーダーに成長しました。IGT はレッドの下でプログレッシブ スロット マシン (『Megabucks』など) やライセンスを取得した人気媒体 (「Wheel of Fortune」、「エルビス」など) がテーマのスロット マシンをリリースしました。

カーク・カーコリアン (1971 - 2015) は米国の投資家、カジノ オーナー・経営者。1962 年に購入したラスベガスの土地を Caesars Palace の運営会社に貸し出し、1968 年に売却。地代・売却益で 900 万ドルの利益を上げました。1969 年に映画制作会社「メトロ・ゴールドウィン・メイヤー (MGM)」を買収して、数年後にラスベガスに MGM Grand Hotel and Casino をオープンしましたが、1986 年に 5.94 億ドルで売却しました。

イング・テルネス (1930 - 2012) はノルウェー出身の米国の発明家、エンジニア、ソフトウェア開発者。彼が発明した乱数発生器 (RNG) によりスロット マシンのデジタル動作が可能になり、それまで機械式リールによって制限されていたスロット マシンの払戻し可能金額が大幅に増額しました。1984 年に「リールの停止位置の選択に乱数発生器を利用した電子ゲーム機器 (Electronic Gaming Device Utilizing a Random Number Generator for Selecting the Reel Stop Position)」の特許を取得し、International Game Technology 社がこれを買収しました。

シェルドン・アデルソン (1933 - 2021) は米国の投資家、カジノ オーナー・経営者。起業家でもあり、不動産や事業開発によって若くして億万長者になりました。1988 年にラスベガスの Sands Hotel and Casino を買収し、その隣に Sands Expo and Convention Centre を建設。その後、Sands Hotel and Casino を取り壊して Venetian としてリニューアル (後に Palazzo も建設)。Venetian Macau Resort やペンシルバニア州、シンガポールにもカジノを建設しています。

ソル・カーズナー (1935 - 2010) は南アフリカの投資家、カジノ オーナー・経営者。世界中でホテルやリゾートを購入・建設しており、米コネチカット州の Mohegan Sun やパラダイス島 (バハマ) の Atlantis Resort の建設など、西半球を中心に事業を展開しました。

スティーブ・ウィン (1942 -) は米国の投資家、カジノ オーナー・経営者。1970 年代に Golden Nugget をリニューアルしてラスベガスの繁華街に活気を取り戻した張本人です。1989 年には 20 年ぶりにラスベガス・ストリップに The Mirage を新規オープン。ほかにも BellagioWynn、Encore など米国のカジノや、Wynn Macau を建設しました。

ドナルド・トランプ (1946 - ) は米国の不動産開発者・カジノ オーナー・経営者。建築・開発関連のオーナー企業を相続し、1980 年代にアトランティックシティ随一のカジノ経営者・オーナーになります。手掛けたカジノは Trump Plaza Hotel and Casino、Trump Marina、Trump Taj Mahal Casino など多数に上ります。

カジノやゲーミングを扱った書籍

アルフォンソ 10世 (カスティーリャ=レオン王国国王) 著『Book of Games』(1283)。史上初のギャンブル ガイド。クラップスの前身であるハザードなどダイス ゲームの解説にもページが割かれています。

ミゲル・デ・セルバンテス著『Rinconete & Cortadillo』(1613)。ブラックジャックの前身 トレンテアン (31) についての最古級の記述を含む短編小説。

チャールズ・コットン著『The Compleat Gamester』(1674)。カード ゲームやダイス ゲームのガイドとして大きな影響を与えました。

アレクサンドル・プーシキン著『スペードの女王 (原題: Queen of Spades)』 (1834)。ロシア帝国陸軍の工兵士官ゲルマンが年老いた伯爵夫人のギャンブルの秘密を知ろうとして発狂する短編小説。チャイコフスキーが 1890 年に作曲した同名オペラの原作でもあります。

フョードル・ドストエフスキー著『賭博者 (原題: The Gambler)』(1866)。ロシアを代表する小説家ドストエフスキーはギャンブルの借金を返済するために、この作品を急いで書き上げました。物語には暇つぶし、問題の解決、登場人物の借金返済のためにルーレット テーブルでギャンブルをするシーンが数多く描かれています。

ジョージ・エリオット『ダニエル・デロンダ (原題: Daniel Deronda)』(1876)。ダニエル・デロンダとグエンドレン・ハーレスの物語はハーレスがルーレットで全財産を失う場面から始まります。ハーレスは負けを取り戻すためにネックレスを質に入れますが、ダニエルはそれを買取って彼女に返します……。

イアン・フレミング著『007/カジノ・ロワイヤル (原題: Casino Royale』(1953)。ジェームズ・ボンド初登場となる小説はボンドがルーレットをプレイしている場面で幕を明けます。ルーレットはジェームズ・ボンドでしばしば描かれる舞台であり、架空のスーパースパイの戦略を基にして「ジェームズ ボンド システム」を開発したルーレット愛好家もいるほどです。

エドワード・O・ソープ著『ディーラーをやっつけろ! (原題: Beat the Dealer)』(1962)。ブラックジャックの基本戦略、カード カウンティングの解説に加えて、経験豊富なカジノ プレイヤーの助言や資金援助の下で自身の学術理論を実践した著者自身の体験を記したベストセラー。

ハンター・トンプソン著「ラスベガスをやっつけろ! (原題: Fear and Loathing in Las Vegas)」(1972)。下地になっているのは 1961 年に『Rolling Stone』誌に掲載された著者のラスベガス体験を記録した 2 つの長文記事。フィクション、ジャーナリズム、内部独白的な観察の手法を融合させた「ゴンゾー・ジャーナリズム」の象徴的な作品とされています。

ケン・ユーストン著『The Big Player』(1977)。ブラックジャックのカード カウンティングとチームプレイの秘密を紹介した最初の出版物で、ユーストンの戦略と分析、カジノでの冒険が描かれています。

マリオ・プーゾ著『Fools Die』(1978)。前作『ゴッドファーザー』で高い評価を得た作者がラスベガスにある架空のホテル Xanadu を舞台に描いた意欲品。

トーマス・バス著『The Eudaemonic Pie』(1985)。カジノでルーレットの結果を予測するために足の指で操作できる小型コンピューターを開発した大学院生グループのノンフィクション。

マイケル・コニック著『Man with the $100,000 Breasts and Other Gambling Stories』(1999)、『Telling Lies and Getting Paid』(2001)。ギャンブル、ギャンブラー、ゲーミング、カジノに関する 2 つの物語集。

ベン・メズリッチ著『ラス・ヴェガスをブッつぶせ! (原題: Bringing Down the House)』(2002)。MIT のブラックジャック チームの活躍を記録したベストセラー。ノンフィクションとされていますが、名前の変更や会話の創作、登場人物の合成、出来事の内容変更など部分的に手が加えられています。映画『ラスベガスをブッつぶせ (原題: 21)』の原作にもなりました。

デイビッド・シュワルツ著『Roll the Bones』(2006)。ギャンブルの世界史を包括的に生き生きと描いた作品。

デイモン・ラニアン『Guys and Dolls and Other Writings』(2008)。1920 ~ 1930 年代に書かれた短編小説とノンフィクションのレポートを集めた作品。ミュージカル『ガイズ & ドールズ』や映画『野郎どもと女たち』の原作になった短編小説やアル・カポネやアーノルド・ロススタインについてのレポートも見られます。

カジノやゲーミングを扱った映画

カサブランカ (原題: Casablanca)』(1942)。映画で主な舞台になるのは細工されたルーレットが置かれているリック (ハンフリー・ボガード) の店「カフェ・アメリカン」。戦争から逃れて米国に移住しようと必死な新婚の夫にルーレットで 22 番に賭けるように勧め、彼らの米国ビザ取得を助けます。

『野郎どもと女たち (Guys and Dolls)』(1955)。デイモン・ラニアンの 2 つの短編が原作のブロードウェイ ミュージカルを映画化。マーロン・ブランドがギャンブラーのスカイ・マスターソンフランク・シナトラがネイサン・デトロイトを演じています。「Luck Be a Lady」は必聴です。

泥棒成金 (原題: To Catch a Thief)』(1955)。ケーリー・グラントグレース・ケリーが出演し、アルフレッド・ヒッチコックが監督を務めた映画の舞台はコートダジュールの別荘、カジノ、ホテル。ジョン・ロビー (グラント) は宝石泥棒の疑惑があるフランセス・スティーヴンス (ケリー) を尾行するために雇われた元宝石泥棒です。カジノでグラントがルーレットをプレイしている婦人の胸元に高額チップを落とすシーンがあります。

ラスヴェガスで逢いましょう (原題: Meet Me in Las Vegas)』 (1956)。ギャンブル好きのカウボーイはダンサーのマリアの手を握っていればルーレットに勝てることに気付きます。最初は手を繋ぐことを嫌がっていたマリアですが……。

オーシャンと十一人の仲間 (原題: Ocean's 11)』(1960)。フランク・シナトラ演じるダニー・オーシャンが仲間たちと一晩でラスベガスの 5 つのカジノを標的に強盗劇を繰り広げます。映画にはサミー・デイビス Jr、ディーン・マーティン、ピーター・ローフォード、アンジー・ディキンソン、ジョーイ・ビショップなど「ラットパック (「シナトラ一家」)」の面々が参加。映画化の権利を手に入れたピーター・ローフォードの構想を聞いたシナトラは「映画のことは忘れて、仕事にとりかかろう!」と冗談を飛ばしました。ラスベガスでの撮影中、シナトラはマーティン、デイヴィス、ローフォードらと Sands Hotel & Casino の Copa Room で毎晩のように公演を行っていました。

ガールハント (原題: Honeymoon Machine)』(1961)。海軍の潜水艦乗り 3 人が艦のコンピューターを使ってベネツィアのカジノでルーレットの確率を計算して一儲けしようと企みますが、提督がカジノに到着して事態は大変な方向へ……。

007/ダイヤモンドは永遠に (Diamonds are Forever)』(1971)。イアン・フレミングの小説が原作のジェームズ・ボンド シリーズ作品。ボンド役はショーン・コネリー。物語の舞台の 1 つにもなっている孤独な億万長者ウィラード・ホワイトが所有するラスベガスの (架空の) カジノ「Whyte House」でボンドがクラップスをプレイする姿が見られます。一部のシーンは Circus Circus のカジノ フロアで撮影されました。

スティング (原題: The Sting)』(1973)。運と実力のゲームと信用詐欺 (「コン ゲーム」) を扱った代表的な映画。ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードが演じる詐欺師がもっと大きな悪から大金を巻き上げるために計画を実行します。ロバート・レッドフォード扮するフッカーが盗んだ金をいかさまのルーレットで失うシーンは必見です。

ゴー! ゴー! アメリカ/我ら放浪族 (原題: Lost in America)』(1985)。アルバート・ブルックスとジュリー・ハガティが目まぐるしい生活から抜け出そうとする夫婦を演じたコメディ。トレーラーハウスで米国内を旅するという新しいライフスタイルが始まって数日、立ち寄ったラスベガスで妻がルーレットで全財産を失ってしまいます。黒の 22 番に賭けたものの『カサブランカ』のようにうまくいくはずもなく……。

ビッグ・ヒート (Heat)』(1986)。バート・レイノルズがラスベガスの用心棒を演じたアクション アドベンチャー。映画の中ではレイノルズがブラックジャックで大きく勝ったり負けたりする場面が描かれています。著名な脚本家ウィリアム・ゴールドマンの同名小説が原作です。

レインマン (原題: Rain Man)』(1988)。ダスティン・ホフマンとトム・クルーズが主演し、1989 年のアカデミー賞で作品賞、脚本賞、監督賞 (バリー・レヴィンソン)、主演男優賞 (ダスティン・ホフマン) の 4 部門を受賞した名作。施設に収容されたサヴァン症候群の兄 (ホフマン) と兄の存在を知らなかった身勝手な弟 (クルーズ) が旅を通じて兄弟の絆を育んでいきます。途中立ち寄ったラスベガスの Caesars Palace でレイモンドが驚異的な記憶力を発揮してブラックジャックで大勝します。

のるかそるか (原題: Let It Ride)』(1989)。競馬場を舞台に、ギャンブルの習慣や迷信、人物像を描いた傑作コメディー。リチャード・ドレイファス、デヴィッド・ヨハンセン、テリー・ガー、ロビー・コルトレーン、ジェニファー・ティリーなどが出演しています。

バグジー (原題: Bugsy)』(1991)。ウォーレン・ベイティが演じるベン・'バグジー'・シーゲルはニューヨーク出身のマフィア。ボスのマイヤー・ランスキーとチャーリー・ルチアーノに代わって賭博場を買収するために一路ロサンゼルスへ。ラスベガス訪問をきっかけにラスベガス初の大型リゾート施設「Flamingo」の建設に向けて動き出しますが、資金不足と予算超過のためにシーゲルは殺害されます。シーゲルの恋人役ヴァージニア・ヒルを演じるのはアネット・ベニング。

幸福の条件 (原題: Indecent Proposal)』(1993)。ラスベガスで既婚女性 (デミ・ムーア) に狙いを定めたロバート・レッドフォード演じる億万長者は、彼女との一晩に 100 万ドル支払うことを申し出ます。夫の不動産プロジェクトの資金調達のためにその申し出を受けたことで 2 人の関係は発展しますが、最終的には夫 (ウディ・ハレルソン) の元へと戻ります。

カジノ (原題: Casino)』(1995)。マーティン・スコセッシ監督作品。さまざまなカジノの運営責任者に任命され、ラスベガスに移り住んだマフィアのサム・'エース'・ロススティーンとニコラス・'ニッキー'・サントロの物語で、1970 年代から 80 年代に暗躍したアンソニー・スピロトロのような男たちの恋愛、ドラッグ、冷酷なマフィアの世界などの実生活を垣間見ることができます。ロバート・デ・ニーロ、ジョー・ペシ、シャロン・ストーンなどの豪華キャストが出演しています。

ルール・オブ・デス/カジノの死角 (原題: Croupie)』(1998)。クライヴ・オーウェンが作家からクルピエに転身した男を演じた、英国のノワール映画。カジノの世界が主人公の人生や恋愛関係を支配していきます。

ラン・ローラ・ラン (原題: Run Lola Run)』(1998)。ドイツのスリラー映画。フランカ・ポテンテ扮する主人公のローラが20 分以内に 10 万マルクを集めてボーイフレンドの命を救うために奮闘します。ローラがトライするシナリオは 3 パターンあり、そのうちの 1 つでルーレットが登場します。それぞれの「トライ」がすべて異なる結果に行き着きます。

Owning Mahowny』(2003)。主演はフィリップ・シーモア・ホフマン。トロントの銀行員がハイステークなカジノ ゲームで遊ぶために 18 か月にわたって 1,000 万ドル以上を横領したという実話が基になっています。

オーシャンズ 11 (原題: Ocean's Eleven)』(2001)、『オーシャンズ 12 (Ocean's Twelve)』(2004)、『オーシャンズ 13 (Ocean's Thirteen)』(2007)。『オーシャンと十一人の仲間』(1960) をベースにしたシリーズ作品。ジョージ・クルーニー、ブラッド・ピット、マット・デイモン、ドン・チードル、アンディ・ガルシア、ジュリア・ロバーツなどが出演しています。

ラスベガスをぶっつぶせ (原題: 21)』(2008)。原作は MIT ブラックジャック チームの活躍を記録したベン・メズリッチの『ラス・ヴェガスをブッつぶせ! (原題: Bringing Down the House)』。

ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い (The Hangover)』(2009)。ラスベガスを舞台に失敗に終わった週末の独身お別れパーティーを描いたコメディ。映画の中では、ザック・ガリフィアナキス演じるアランが、普段の奇行に反してブラックジャックでカード カウンティングを駆使して大勝ちするシーンがあります。 

トイ・ストーリー 3 (Toy Story 3)』(2010)。ディズニー・ピクサーの人気映画。おもちゃが設立したカジノではシーンセイがルーレット、電池がチップになっています。

カジノやゲーミングを扱った楽曲

Motorhead「Ace of Spades」(1980) - カード、ダイス

Ray Charles「Blackjack」(1955) - ブラックジャック

The Rolling Stones「Casino Boogie」(1972) - カジノ、モンテカルロ

Steely Dan「Do It Again」(1972) - カード、ラスベガス

Kim Carnes「Draw of the Cards」(1981) - カード

Kenny Rogers「The Gambler」(1978) - ポーカー

Blood, Sweat & Tears「Go Down Gamblin」(1971) - ブラックジャック、クラップス、ルーレット、カジノ

The Animals「The House of the Rising Sun」(1964) - ギャンブル

Paul McCartney「Junior's Farm」(1974) - ポーカー

Sheryl Crow「Leavin' Las Vegas」(1993) - ラスベガス

Bob Dylan「Lily, Rosemary and the Jack of Hearts」(1975) - カジノ、ポーカー

Robert Johnson「Little Queen of Spades」(1938) - カード、運

Little River Band「Lonesome Loser」(1979) - カード

Frank Sinatra「Luck Be a Lady」(1965) - カジノ、ダイス

Fred Gilbert「The Man Who Broke the Bank at Monte Carlo」(1892) - モンテカルロ、カジノ

Lady Gaga「Poker Face」(2008) - ポーカー

INXS「Pretty Vegas」(2005) - ラスベガス

B-52s「Queen of Las Vegas」(1983) - ルーレット、カード、ラスベガス

Bob Dylan「Ramblin; Gamblin' Willie」(1962) - カード、ダイス、ポーカー

Bob Seger「Ramblin' Gamblin' Man」(1969) - ダイス、ルーレット、ギャンブル

Carly Simon「Riverboat Gambler」(1976) - カジノ、ギャンブル

Bruce Springsteen「Roll of the Dice」(1992) - クラップス、ダイス

Rush「Roll the Bones」(1991) - ダイス

Bon Jovi「Roulette」(1984) - ルーレット

Sting「Shape of My Heart」(1993) - カード

Deep Purple「Smoke on the Water」(1971) - カジノ

The Rolling Stones「Tumbling Dice」(1972) – ダイス

Elvis Presley「Viva Las Vegas」(1964) - ラスベガス、カジノ、ブラックジャック、ルーレット、ポーカー、スロット、クラップス

Katy Perry「Waking Up in Vegas」(2008) – ラスベガス

Grand Funk Railroad「We're An American Band」(1973) – ポーカー

ABBA「The Winner Takes It All」(1980) - カード、ダイス

プロップベット

プロップベットとは、一般的にカジノ ゲームなどに付随する事柄に賭けるサイドベットをいいます。カジノのスポーツブックでは、大きなスポーツ イベントと間接的に関係するプロップベットを多く提供しており(スーパー ボウルでのセーフティの確率やボクシングの世界マッチでドクター ストップになる確率など)、特定のカードやサイコロの出目に賭けるプロップベットもあります。

特によく知られているのがベッター (一般的にカジノゲームの熱心なプレイヤーやプロのギャンブラー) 同士で個人的に行うプロップベットです。一見非常識に見えるものもありますが (中にはそんなものもあります)、プロップベットをすることでプレイヤーの身体能力、知識、プレイへの態度や競争心、困難に取り組む姿勢などを観察することができます。このようなプロップベットはカジノ ゲームとは関係ありませんが (一般的には口頭で行われます)、カジノ ゲームの文化やプレイヤーのコミュニティに深みを与えています。

プロップベットに要注意

一般論ですが、あえて突拍子もない挑戦をする人は、成功する可能性が高いものです。デイモン・ラニアンの有名な短編小説『ミス・サラー・ブラウンのロマンチックな物語』(ミュージカルや映画『ガイズ & ドールズ』の原作) では、主人公スカイ・マスターソンの父親が別れ際に息子にこうアドバイスしています。「どんなに遠く離れても、どれだけ偉くなっても、これだけは覚えておくんだ。いつか、どこかで、封が破られていない新品のカードを持った奴がおまえの目の前に現れ、『このデッキからスペードのジャックを引けたら、君の耳にサイダーを吹きかけるっていうのはどうだい?』と賭けを提案してくるかもしれない。でもその賭けに乗ってはいけないよ。耳がサイダーでいっぱいになってしまうだろうから」

ホワイツのベッティングブック

18 世紀から 19 世紀初頭のロンドンを代表する紳士クラブ「ホワイツ」ではどんなことでも賭けの対象になっていました。たとえば、窓ガラスについた 2 つの雨粒のどちらが先に下まで落ちるか、クラブの前で倒れている負傷者が生きているか死んでいるか、などです。ホワイツにはプロップベットを記録するためのベッティングブックがありましたが、大半は将来の出生日、死亡日、結婚日などを予想するものだったようです。クレア・コック・スターキー著『The Georgian Art of Gambling』(大英博物館、2013) によると、あるベッティングブックにはモントフォート卿とサー・ジュノ・ブランドがボウ・ナッシュ (バースの儀典長) とコリー・ギバ- (俳優) のどちらが長生きするかに賭けた記録が残っていますが、モンフォート卿もサー・ジェノ・ブランドもベットが成立する前に亡くなったようです。

不沈艦タイタニック・トンプソン

アルビン・クラレンス・'タイタニック・トンプソン'・トーマスは 20 世紀初頭の米国で最高の「ロード ギャンブラー」の 1 人であり、デイモン・ラニアンが描いたスカイ・マスターソンのモデルでもあります。常に相手より優位に立つことを考えていたタイタニック・トンプソンはプロップベットの達人でした。ほかのギャンブラーたちとミズーリ州ジョプリンに向かっている時に「ジョプリンまで 20 マイル」という標識を建てている作業員を目にしたトンプソンは夜のうちに標識をジョプリンに 5 マイル近づけ、翌日標識が正確かどうかの賭けをしてまんまと勝利を手にしました。また、「ホテルの屋上までクルミを投げられるかどうか」という賭けに勝った話も有名です (細工されたクルミは重くてよく飛んだ)。

10 万ドルのバストを持つ男

マイケル・コニックは『The Man With the $100,000 Breasts and Other Gambling Stories』(1999) の中でプロ ギャンブラーのブライアン・ゼンビックが 1996 年に「豊胸手術を受けて 1 年それをキープする」という賭けに勝って 10 万ドルを手に入れたという今では有名な話を紹介しています。ブライアンは賭けに勝った後も元に戻さず、2013 年当時のインタビューでも豊胸したままと語っています。

エグザイルベット

プロップベットの中でも指定された場所に行ったり、一定期間暮らしたりするものを「エグザイルベット」と呼びます。この賭けは特にプロのギャンブラーにとっては難しい傾向があります。それは、プロのギャンブラーが、(a) 独立性と自由に最大の魅力を感じていること、(b) カジノやアクション、視覚・聴覚的な刺激に満ちた場所で長い時間を過ごしていること、(c) カジノから追い出されて収入がなくなること、などが理由です。

1990 年代にラスベガスのポーカー プロ、ジョン・'ジョニー・ワールド'・ヘニガンは、「住み慣れたラスベガス、フィラデルフィア、アトランティックシティとは正反対のアイオワ州デモインで 1 か月生活できるか」という賭けをしました。賭け金は 2.5 万ドル。ホテル周辺の指定地域に滞在することが条件でした。そこにはゴルフ コースや行きつけになりそうなバーなどがあったものの 2 日と持ちませんでした。ホテルもゴルフもバーも気に入らなかったし、もっと快適な環境を探す自由もありませんでした。ジョンは賭け相手に電話して「デモインに引っ越してきたのだから勝てるに決まっている」と賭け金を減額するように説得し、交渉で決まった金額を支払ってデモインからさっさと立ち去りました。

2008 年、ポーカー プレイヤーのアンドリュー・ロブルアレック・トレリは、ジェイ・クイック (Bellagio Hotel での滞在時間の長さから「ベラージオ・ジェイ」と呼ばれている) に、米国ネバダ州ラスベガスの Bellagio のバスルームで 30 日過ごせるかどうかを賭けました。携帯電話の通話時間は制限され、コンピューターの使用は禁止されていましたが、小型の DVD プレイヤーの使用と食事の配達は認められていました。バスルームのドアには監視用の Web カメラが設置し、オンラインで配信。違反の報告者には 500 ドルの懸賞金がかけられました。20 日後、根を上げたロブルとトレリはクイックと交渉し、割引額 (4 万ドルとされている) を支払って賭けを打ち切りました。

ロッデンの頭の中を当てろ

このゲームは、まず 2 人のベッターがロッデンと呼ばれる回答者を指名することから始まります。次にベッタ-がロッデンに数字で答えられる質問をします (: オーストラリアの人口、バラク・オバマが所有しているネクタイの本数、ロッデンの本棚に並ぶ本の冊数)。ロッデンはこっそり (別の誰かに、または紙に書いて) 質問に答え、ベッターはロッデンの答えの上下にベットします。ゲームでは、事実に基づいた客観的な答え (もしあれば)、ロッデンが答えるであろうこと、相手が答えだと思っていること、ロッデンの考え、上または下を選んだ場合の利益 / 損益など複雑な分析が必要になります。ポーカーのプレイ中に思いつきで始まったこのゲームは、ポーカー プロのジョニー・ロッデンを回答者に指名したことがその名前の由来になっています。ゲームは 2 人のベッタ-のほかに、追加のベッター、ロッデン、質問者など多くの参加者で行われます。